ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信

ガス灯 がすとう (1872/10月)

横浜山手英国病院前のガス灯

明治5年9月29日(陽暦1872年10月31日)、横浜は神奈川県庁表門と、大江橋から本町通・馬車道の10数カ所に、ガスを燃料にした街路灯が点灯しました。文明開化の象徴のひとつ、「ガス灯」の登場です。

この日本初のガス灯設置に尽力したのが、横浜周辺の鉄道線路敷設にも大きく貢献した実業家、高島嘉右衛門です。ガス灯設置は当初、明治3年(1870)にドイツの貿易会社シュルツ・ライス商会が、横浜居留地一帯のガス管敷設を県に出願し、いち早く動き始めていました。こうした外国人によるガス事業独占に危機感を募らせた高島は、独自にガス会社「日本社中」を興してこれに対抗します。高島は神奈川県と掛け合い、横浜市街地での敷設権は獲得しますが、競争となった居留地内の権利は在留外国人の投票で決めることになりました。そして高島と日本社中は、オランダ総領事らの支持を取り付けてこの投票にも勝利、横浜市街地とともに居留地においても、これらのガス管敷設と付帯するガス灯設置のすべての権利を獲得するのです。

明治4年(1871)、敷設権を得た高島は、上海租界でガス会社を経営していた仏人技師、アンリ A. プレグランを招聘します。続いて伊勢山の石炭蔵跡(現中区花咲町)にガス工場を建設してガス灯製作に着手、プレグランがスコットランドから輸入した鋳鉄製の灯柱と、日本の職人が製作した灯具を組み合わせ、和洋折衷による日本初のガス灯を完成させました。

明治5年に横浜市内に初のガス灯をともした高島とプレグランは、明治7年(1874)には東京市内のガス灯建設も指揮して、日本の街路灯建設の端を開きました。そしてこれ以後各地へと広がっていくガスの灯りは、その役目を電灯へと引き渡す関東大震災後まで、明治大正期の近代化を象徴する輝きとして、日本の夜を照らしていくのです。

参考資料: 46, 67, 105

Date: 2007/1/06 11:30:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

コメントを投稿 - Post A Comment