ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信

帝国ホテル ていこくほてる (1890/11月)

帝国ホテル

明治23年(1890)11月3日、皇居の南、政治経済の中心地となる日比谷の一等地に、初の近代都市ホテル、「帝国ホテル」が開業しました。

維新後の日本政府は、幕末に欧米列国と締結した不平等条約の改正に向け、極端なまでの欧化政策を打ち出して、国内の近代化に奔走していました。明治16年(1883)、その欧化主義の象徴ともいうべき「鹿鳴館」が外務卿井上馨の主唱によって完成すると、欧米からの賓客を招いた舞踏会が連日のように催され、条約改正に向けた外交政策、いわゆる「鹿鳴館外交」が推し進められていました。しかし実際に欧米の貴賓を招いても、国内には来賓用の本格的な宿泊施設が存在せず、旧幕府の海軍施設を改築した延遼館などを代用している状態でした。こうした不備を解消するため、井上が鹿鳴館に続いて企図し、渋沢栄一大倉喜八郎益田孝ら、財界の実力者を促して推進させたのが、外国人接遇および宿泊施設としての帝国ホテルでした。

ホテル建設は当初、これ以前に井上が推進していた官庁集中計画の中にあった大型ホテル案を元に、明治21年(1888)7月に着工されました。しかし元来入り江であった日比谷一帯は地盤が弱く、基礎部分を中心として設計の見直しが必要となり、工部大学校の2期生で、ドイツ留学を終えたばかりの日本人建築家、渡辺譲を迎えて計画を再スタートすることになりました。渡辺はそれまでの設計案を見直し、4階建てを3階建てに、煉瓦造を木造を交えたものにするなど、軟弱な地盤に応じた軽量化を進め、新たなホテル案を完成させます。そして同年10月の再着工から約2年の歳月を経て、木骨煉瓦造3階建、内装に和風を大幅に加えつつ、配置構成にネオ・バロック、壁面構成にネオ・ルネッサンス様式を取り込むという、最新モードでありながら折衷性も持った洋風建築として、この新ホテルを完成させるのです。

こうして本格的な外国人接遇施設、迎賓施設として開業を果たした帝国ホテルは、各国要人を迎えて外交の促進に寄与するとともに、西洋式の豪華ホテル「グランドホテル」のスタイルを取り込んだ初の近代都市ホテルとして、日本の近代ホテル史に最初の1ページを開いていくのです。

参考資料: 56, 103

Date: 2007/6/24 20:47:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

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