ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信
月琴 げっきん (1877)
明治10年(1877)、中国渡来の伝統楽器「月琴」が、全国的に流行し始めました。
この年、京都や東京では、中国南部の民族音楽「明清楽(みんしんがく)」が流行し、清楽会と称する演奏会が人気を集めていました。この明清楽演奏は、琵琶や胡琴、清笛(しんてき)、篳篥(ひちりき)、木琴など、19種もの多彩な楽器から構成されますが、なかでも三味線に似た主奏楽器の月琴は、特に注目を集めました。さらにこの月琴は、初心者にもとても弾きやすいこともあり、一般の間でも自ら演奏することに人気が集まっていきました。
京都から始まったというこの流行は、月琴を三味線代わりにして座敷などで披露する、祇園の芸妓衆などを中心に広まっていったようです。これが明治15年(1882)になると、"西京にては月琴大流行にて、当府下にても四谷牛込麻布辺にては、常磐津・清元の師匠よりも月琴指南所の数多し" と、東京でもかなりの流行となっています(明治15年10月「諸芸新聞」)。またこの頃になると、日本各地で100種類以上の譜本が出版されるなど、その人気は全国的な広がりを見せていました。
庶民の間で広く定着していた月琴人気でしたが、明治27年(1894)に勃発した日清戦争がこれらを一変させていきました。突如敵性楽器とされた月琴は、中国のものを嫌う風潮の中で一斉に遠ざけられ、急激にその人気を失っていくのです。
その後、戦争が終わってしばらくすると再び手に取る人もあり、大正末頃までは断続的に親しまれた月琴でしたが、唱歌や洋楽の興生もあって一時ほどの人気は戻らず、専ら法界屋や瞽女(ごぜ)といった旅芸人が携える珍しい楽器となっていきました。
Date: 2007/1/27 11:00:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)