ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信
御高祖頭巾 おこうそずきん (1878)
明治11年(1878)のこのころ、防寒や顔を隠すための女性の装身具、「御高祖頭巾」が巷に流行しました。
江戸享保年間(1716-1735)に使われ始めたという御高祖頭巾は、方形の切地に紐をつけた簡素なかぶり物で、高祖日蓮上人像の頭巾に形が似るところからその名がついたとされています。また着物の袖のような形状であるところから、袖頭巾などとも呼ばれていました。
御高祖頭巾の流行は、宝暦年間(1751-1763)が最初といわれ、明治になってからもしばしば女性の冬の装身具として流行し、大正末頃まで身に付ける姿が見られました。また若い女性が藤色や鼠色などの淡色系を身に付け、年を重ねるにつれ濃い色を選ぶといったように、年齢によって色づかいを変えるのが慣例でした。こうした流行と幅広い需要は、風呂敷の多様化を生んだともいわれています。頭巾にも平包にも転用が効く多用途の風呂敷は、頭巾として売られたものよりも庶民に人気が高かったのかもしれません。
また明治中頃には在留外国人女性の中にも身に付ける者が現れたりと、外国人にもこの日本独自の簡易フードは評判だったようで、お雇い外国人のエドワード S. モースは、明治11年(1878)に多く見られたこの御高祖頭巾を評し、"これは身に付けるのがたやすいし、アメリカにも移入したいものだ" などと書き残しています。
Date: 2007/3/03 10:00:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (2)
このエントリーへのコメント - Comments
Mikio | 2007/5/13 0:00:41
ジャパンメモリーさん、コメントをありがとうございます。
すばらしい補足情報を感謝いたします。またとても勉強になります。:^)
ジャパンメモリー | 2007/5/12 23:33:27
明治11年頃にお高祖頭巾が流行したのは、前年の西南戦争の帰還兵士の間からコレラ患者が発生し、日本中が大騒ぎになったことと関係があるようです。
人力車の座席には消毒のために石炭酸を撒き、日本人が座敷足袋を履くようになったのもコレラの予防、神戸の元町通の茶商「放香堂」でコーヒー豆を店頭に置いたところ、店主が首が傾げる程、飛ぶように売れたのも、万能薬「宝丹」が飛ぶように売れたのも全てコレラ流行のせいです。
お高祖頭巾は江戸時代には「気儘(きまま)」「気儘頭巾」と呼ばれたといいます。