ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信

パノラマ館 ぱのらまかん (1890/5月)

日本パノラマ館

映画登場以前の明治中期、国内で大きな流行となった見世物に「パノラマ」があります。現在では広々とした景観を表現する言葉として定着していますが、当時はこれらを見せる常設の興行館「パノラマ館」が日本各地に作られ、人々に斬新な視覚体験を提供していました。

1787年にイギリスで発明されたパノラマは、だまし絵を発展させたような見世物として、19世紀初頭からヨーロッパを中心に流行しました。その構造は、円筒形の場内に描かれた一続きの画を、中央の見物台から眺めるという単純なものですが、近景に配された実物大の造作物と遠景の図絵を巧みに繋ぎあわせた上で、観客の目線と水平線を一致させ、さらに光線の具合を調節することで、あたかも実景に取り囲まれているような擬似効果を作り出す、視覚が引き起こす錯視を効果的に利用した空間装置でした。

上野パノラマ館 開業広告

日本初登場となったパノラマ館は、明治23年(1890)5月7日に上野公園内に開館した、「上野パノラマ館」です。戊辰戦争白河の戦いを描いた「奥州白川大戦争図」を配したこのパノラマ館は、同公園で開催中だった第三回内国勧業博覧会の人出もあって、大きな人気を集めました。続いて2週間後の5月23日には、浅草公園六区に、日本で2番目のパノラマ館「日本パノラマ館」が登場します。数あるパノラマ館の中でもとりわけ高い人気を集めたこの日本パノラマ館は、円形小屋の直径36m、全高約30mという巨大な建物で、華族女学校や農商務省舎を手がけた工部大学校出の建築家、新家孝正(にいのみたかまさ)がその設計を手がけていました。サンフランシスコ直輸入の本格的な南北戦争図を配したその圧倒的なパノラマは、開館直後から大人気となり、5ヶ月間で20万人もの観客を動員しています。この上野と浅草での人気に乗じて、翌明治24年(1891)1月には大阪難波、同年7月には京都新京極と、パノラマ館は大都市を中心に各地で作られていきました。最も多く常設館が作られた東京では、他にも神田錦町の「新パノラマ館」(明治24年)や、神田三崎町の「帝国パノラマ館」(明治30年)、靖国神社に献納された「九段下国光館パノラマ館」(明治35年)などが相次いで登場しています。

萩原朔太郎は詩集「宿命」の中で、子供のころに見たパノラマ館の様子を詳細に書き残しています。"明治何年頃か覺えないが、私のごく幼ない頃、上野にパノラマ館があつた。今の科學博物館がある近所で、その高い屋根の上には、赤地に白く PANORAMA と書いた旗が、葉櫻の陰に翩翻(へんぽん)としてゐた。私は此所で、南北戰爭とワータルローのパノラマを見た。狹く暗く、トンネルのやうになつてる梯子段を登つて行くと、急に明るい廣闊とした望樓に出た。不思議なことには、そのパノラマ館の家の中に、戸外で見ると同じやうな青空が、無限の穹窿(きゅうりゅう)となつて廣がつてるのだ。私は子供の驚異から、確かに魔法の國へ來たと思つた。"

日本パノラマ館 館内の様子

明治29年(1896)に上京してきた斎藤茂吉も、その斬新で近代的な見世物の魅力に感動を覚えたひとりです。"その頃の浅草観世音境内には、日清役平壌戦のパノラマがあって、これは実にいいものであった。東北の山間などにいてはこういうものは決して見ることが出来ないと私は子供心にも沁々(しみじみ)とおもったものであった。"「三筋町界隈

圧倒的な視覚体験を提供したパノラマ館でしたが、背景の巨大な図絵や前景の造作物等、規模が大がかりなパノラマは、新図を頻繁に入れ替えることは困難で、人気の維持には苦労していたようです。いずれのパノラマ館も、開館当初は高い人気を集めますが、最初の感動が強いだけに同じ絵のままでは飽きられるのも早く、しばらくすると客足は途絶えがちになります。そのため何とか数年ごとに新図に入れ替えて、客足を呼び戻すというかたちが専らでした。

しかしこのように更新のサイクルが遅く、加えて基本的には絵が静止したままのパノラマは、上映の入れ替えが頻繁で、実像が動き続ける新時代の見世物にはかなうべくもありません。明治40年代に入って国内に活動写真が全盛し始めると、その人気を奪われるのに時間はかからず、大正時代を待たずに相次いでその姿を消していきました。一時は大変な人気を集めた日本パノラマ館も、日露戦争の頃まではなんとか客足をつないだものの、その後は急速に人気を失って、明治42年(1909)に閉館しています。時代の移ろいを感じさせるように、翌年9月に跡地に登場したのは、ルナパークと呼ばれる活動写真をふんだんに取り入れたテーマパークでした。

参考資料: 3, 19, 25, 37, 38

Date: 2007/9/23 10:00:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

コメントを投稿 - Post A Comment