ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信

鉄道開通 てつどうかいつう (1872/10月)

横浜停車場

"汽笛一声新橋を/はや我汽車は離れたり"と、唱歌にも歌われた「鉄道」が、日本で営業を開始したのは、明治5年9月12日(陽暦1872年10月14日)のことでした。

明治新政府が、英公使パークスの助言を受け、東京(新橋)横浜間をはじめとする幹線鉄道敷設を決定したのは、明治2年(1869)11月のことでした。そして翌明治3年(1870)3月には早くも、パークスが推す英人技師のエドモンド・モレルが19名の部下を引き連れて来日、すぐさま工事に取りかかりました。鉄道敷設は、近代に踏み出した明治日本の象徴的な国家事業の1つでした。

敷設工事は、汐留に打ち込んだゼロマイル標識を皮切りに、橋梁を架け、遠浅の海岸線に堤防を築くなどしながら、精力的に進められていきました。そして明治4年(1871)9月には、指導者のモレルを結核で失うものの、残った部下と指導を受けた日本人技師が工事を継続させ、着工から2年半を経た明治5年4月、新橋から横浜を結ぶ全29.1kmを鉄の道でつなぎました。

一方、この開通によって日本の玄関口となる新橋・横浜の両駅舎は、民間から登用された米人技師、リチャード P. ブリジェンスの手により完成しました。これらの駅舎はいずれも、シンメトリーに配した木骨石張2階建2棟を木造平屋で繋いだ、ルネッサンス様式の純西洋風建築でした。そしてそれらは、文明開化を視覚で知らせる大型建築で、近代国家建設に向けた、首都演出のシンボルとして建設されたものでもありました。

開通した鉄道は、新橋から品川・川崎・鶴見・神奈川・横浜に至る6駅の総行程を、片道53分で走りました。料金は、上等1125、中等75銭、下等が37銭5厘というものでした。この金額は、下等席でも米九程に相当するような、かなり高価なものでしたが、"たんす長持質屋に入れて、乗ってみたいな陸蒸気" などと、俗謡でも多く取り上げられるほどに庶民の憧れだったのです。

参考資料: 1, 3, 31, 106

Date: 2006/12/30 13:20:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

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