ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信

双六・雙六 すごろく

古代エジプトのセネトと呼ばれる盤遊戯を起原に、インド〜中国を経て飛鳥時代に日本へ渡来したとされる双六(すごろく)は、江戸中期の浮世絵文化の興生とともに、多色刷の美しい絵双六の登場によって大きく発展しました。

明治に入ると、文明開化や新名所を描いたもの、民権運動や憲法発布などの報道性の強いものなど、明治の浮世絵と同様に時事性の強いモチーフを取り込みながら、非常に多くの双六が作られていきました。明治30年代を迎えると、印刷技術の発達に伴って浮世絵文化が衰退していくのとは対照的に、双六は石版印刷や粗悪な単色刷りのものとなっても衰えず、むしろ遊戯人口を飛躍的に増やしていきました。希少性が高い版画というフォーマットを失い、大量生産されることによって「遊び」が必要とする大衆性を獲得していったのです。

大正時代になると、印刷技術の発達とともに雑誌が激増していく中、色鮮やかな大量生産品の附録となって、さらなる発展を遂げていきます。自由思想的な風潮や、児童文化の発展もこれに大きな影響を与え、世界各国を巡る道中双六、自動車や飛行機が描かれた乗物双六、そして子ども漫画の流行による漫画双六など、子どもの視点に立った娯楽性の強いものが登場していきました。

軍国主義が足音を強める、昭和10年代まで続いたこうした双六文化の興隆は、戦意発揚に供された戦争双六のあと、太平洋戦争によって完全に幕を閉じました。戦後これらが復興し、ボードゲームなどの現代的な遊びへと進化していくのは、昭和30〜40年代になってからのことです。

参考資料: 100, 101

Date: 2006/12/15 10:15:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

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