ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信

束髪 そくはつ (1885/7月)

束髪の女性 (手札判写真)

明治18年(1885)、それまでの日本髪をベースにしながら、結髪方法を劇的に変化させた、新しい女性の髪形が提案されました。和洋折衷の髪形「束髪」の登場です。

明治4年(1871)に「断髪令」が出され、男性の髪は髷を落としましたが、女性の髪形は明治維新以降も特に変化を見せず、島田髷 (Images)や丸髷 (Images)といった日本髪の文化が踏襲されていました。しかし明治16年(1883)に鹿鳴館時代が到来し、一部の女性の間で洋装の機会が増えると、遂にその髪形にも変化が生じてきます。洋装と調和しつつ、日本髪の風習からも極端に離れないもの、それが束髪の原型となる、「夜会巻 (Images)」のような髪形でした。

明治18年(1885)7月、軍医の渡辺鼎(かなえ)と東京経済雑誌記者の石川暎作により、「婦人束髪会」が提唱されます。そしてこの直後に提案されたのが、それまでの日本髪の窮屈さや、不衛生さ、非経済的な面を解消するという、女性の新しい髪形としての束髪だったのです。具体的に示されたのは、「西洋上げ巻」「西洋下げ巻」「英吉利(イギリス)結び」「マカレイト」の4種類で、いずれも編むという、革命的な方法がとられた髪形でした。"その時分の束髪は今と違って廂(ひさし)が出ていないのです、そうして頭の真中に蛇のようにぐるぐる巻きつけてあったものです" 夏目漱石こころ

これらの束髪は、自分で結うのも比較的容易で、和服と合わせても違和感がないこともあって、全国的に流行していきました。明治20年代に入ると、欧化主義の反動からナショナリズムが昂揚していく時代背景とともに、日本髪に再びスポットがあてられ、束髪の人気は一時衰退していきます。束髪が再びその人気を復活させるのは明治30年代半ばのことで、日本髪の再流行を経たそれらは、「庇髪(ひさしがみ)」と呼ばれる装飾性の強いスタイルへと変貌を遂げていました。

参考資料: 2, 3, 85

Date: 2007/4/22 9:15:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

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