ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信
フランシス・ブリンクリー Capt. Francis(Frank) Brinkley (1841-1912)
フランシス・ブリンクリーは、英字新聞「ジャパン・ウィークリー・メイル」の主筆として、また熱心な日本研究家として、正しい日本の姿を海外に紹介し続けた英国人ジャーナリストです。
1841年、アイルランドのミースに生まれたブリンクリーは、慶応3年(1867)に英国海軍の砲兵将校として来日しました。明治4年(1871)からは海軍省に雇用され、海軍砲術学校で数学と砲術を教えるなど、当初は主に教師として活動していました。明治9年(1878)から2年間は、同様に数学教師として、工部大学校の教壇にも立っています。また早くから日本文化への著しい傾倒を見せ、ジャパン・ウィークリー・メイル紙上で日本史に関する連載を持つなど、作家として執筆活動なども行っていました。
ジャーナリストとしての活動を本格化させたのは、明治14年(1881)にジャパン・メイル社を買収し、この経営に参画してからで、以降ジャパン・ウィークリー・メイル主筆として、あらゆる日本文化の報道に尽力しました。明治27年(1894)からは、英タイムズ紙の東京通信員となり、日清〜日露と二つの大きな戦争へ向かう日本に対しても、つねに擁護的な態度で日本のあり方を発信し続けました。こうした活動は、欧米における日本の理解に大きな影響を与えたともいわれています。
ブリンクリーはジャーナリストとしての活動以外にも、本格的な日本紹介書も手がけており、主な著書に、"語学独案内(Gogakuhitori Annai)"全3巻(1875)や、"Japan and China"全12巻(1901)、絶筆となった"A History of the Japanese People"などがあります。編集者として参加した"Japan"も、これらの活動同様、正確な視点を提供しようとする、ブリンクリーの日本紹介の一環でした。
大正元年(1912)に東京で死去、現在青山霊園にその墓所があります。
参考資料: 77
Date: 2006/12/15 10:23:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)