ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信

鉄の橋 かねのはし (1868~)

鉄道やガス灯同様、文明開化の象徴的な出来事だった鉄橋の登場は、居留地周辺の木橋の架け替えを端緒に広がっていきました。それまでの木製橋梁では、外国人が持ち込んだ馬車の通行や、交易による往来そのものの増加など、激しい通行量に耐えられなくなったのです。

大阪高麗橋

日本初の鉄橋は、長崎のくろがね橋(明治元年/1868)で、横浜の吉田橋がそれに続きました。いずれも開港都市に架かる木橋の再架設でした。これに続いて東京や大阪などの都市部でも、不燃化政策や鉄道の開通などもあって、徐々に鉄橋架設が始まりました。大阪では高麗橋(明治3年/1870)や心斎橋(明治5年/1872)が、東京では新橋(明治4年/1871)、京都では四条大橋(明治7年/1874)などが、海外から取り寄せた鉄材を用い、相次いで再架されていきました。明治11年(1878)には東京楓川の弾生橋(現八幡橋)が、材料から加工まで国内で行った、初の国産鉄橋として誕生しています。これら明治初期の鉄橋は、錬鉄製の桁橋が主で、橋長の比較的短いものに限られていました。長大橋の架設は、技術的、経済的な事情もあり、まだ難しいものがあったのです。

しかし明治中期になると、水害などの教訓を得て、大型橋梁にもようやく鉄製のものが登場しはじめます。天神橋天満橋(明治21年/1888)などの大阪淀川橋梁群や、東京隅田川橋梁の吾妻橋(明治20年/1887)がそれらに先鞭をつけると、大都市圏を中心に、箱形トラスの長大橋が次々に登場していきました。明治30年(1897)に登場した永代橋は、道路橋として日本で初めて鋼材が使われた大型鉄橋でした。

この都市部での長大橋架設以降、鉄橋は徐々に各地へと広がっていきました。建築物同様、直接視覚に訴える鉄橋は、木橋の日本らしさと引き替えに、近代化の訪れを人々に知らせるシンボルとして機能し、各地の景観に西洋の趣を加えていったのです。

参考資料: 1, 40, 41

Date: 2006/12/23 10:48:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

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