ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信
大阪造幣寮 おおさかぞうへいりょう (1871/2月)
明治4年(1871)2月15日、大阪天満川崎の広大な土地に、文明開化を強烈にアピールする巨大西洋工場が開業しました。日本初の本格的な造幣工場「大阪造幣寮」です。
慶応3年(1867)12月、王政復古の大号令と同時に新政府が成立し、近代国家への一歩を踏み出した日本でしたが、その根幹となる貨幣制度は大混乱といった状況でした。幕政期の複雑な三貨流通に加え、藩礼のような地方通貨や、交易で流れ込んだ外国通貨、さらには混乱に乗じた偽造通貨まで出回っていたのです。新政府は、こうした幣制の整備統一に最優先で着手、明けて慶応4年(1868)、その土台となる統一貨幣の製造工場として計画されたのが、造幣寮建設でした。
この明治最初の国家プロジェクトを任されたのは、香港造幣局建設の経験と、グラバー商会で薩摩・奄美の西洋工場建設を成功させた、英人技師のトーマス・ウォートルスでした。土地の造成から土木工事、建築設計に至るまで、広範な建設技術を持ったウォートルスは、工事中のありとあらゆるトラブルに対応し、煉瓦製造から、機械整備、さらにはイギリスからの資材不着が発生すると、香港造幣局の鉄柱を取り外して輸入してくるといった、縦横無尽の活躍でこの大工場建設を成功させていきました。
こうして明治4年に開業した造幣寮は、幣制統一に向けた、いわば近代国家建設の礎として機能していくだけでなく、総煉瓦造の工場群や高さ30mの大煙突が西洋文明の一端をのぞかせて、「文明開化」を強烈にアピールする教化メディアとしての役割も果たしていきました。
Date: 2006/12/15 10:07:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)