ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信

リチャード P. ブリジェンス Richard P. Bridgens (1819-1891)

横浜税関

リチャード P. ブリジェンスは、開港都市として発展を始めた明治初期の横浜で活躍した、「横浜西洋館の祖」などとも呼ばれるアメリカ人建築技師です。

幕末元治元年(1864)に来港したブリジェンスは、横浜居留地内に土木建築事務所を開いて日本での活動を始めました。義姉が英領事夫人だったことなども手伝い、英国仮公使館(慶応2年)や英国領事館(明治2年)などの英国関連施設建設で実績を積むと、やがて横浜や新政府の記念建築物も手がけるようになり、横浜と新橋の両駅舎(明治4年)や横浜税関(明治6年)、横浜町会所(明治7年)などの大型建築物で大きな足跡を残しました。

最盛期には木骨石造による純洋風建築を設計しましたが、活動初期には地元の日本人たちとの交流から独自のグループを形成し、高島嘉右衛門と英国仮公使館、清水喜助築地ホテル館(明治元年)を共同で作り上げています。ブリジェンスはここで、ナマコ壁や瓦屋根といった日本の伝統技術を西洋建築に取り込んで、のちに清水が特異な折衷様式で東京に建設する、第一国立銀行や為替バンク三井組といった、「擬洋風建築」のきっかけを作り出したりもしました。

多くの記念建築物を手がけたものの、ウォートルスなどと同様に本格的な建築家ではなかったブリジェンスは、維新期を過ぎると急速に舞台から姿を消す、租界地特有の開拓技術者のひとりでした。明治24年(1891)に72歳で没、現在横浜外国人墓地に眠っています。

参考資料: 33, 34

Date: 2007/1/13 10:30:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

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