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"大川富士見渡" (1880) 小林清親
制作年: 明治13年(1880)
出版人: 福田熊治良
種類: 木版
原版/再版: 原版
解説: 小林清親による、大川(隅田川)富士見渡。
江戸湾へと流れ込む隅田川は、江戸時代に永代橋、新大橋、両国橋、厩(うまや)橋、吾妻橋の5つの大橋が架かり、周辺は俗に大川と呼ばれていました。渡し舟は、明治初めのこの頃まだ盛んに行われており、「竹屋の渡し」や「枕橋の渡し」など、流域のおよそ30ヵ所で渡し場が存在していました (隅田川の渡し) 。
「富士見の渡し」は、現在の蔵前橋付近にあって浅草から両国付近を結んだ渡し場で、晴天には富士が望めることから付いた名でした。"この渡はその名の表はすが如く最も好く富士を望むべし。夕の雲は火の如き夏の暮方、または日ざし麗らかに天清(す)める秋の朝なんど、あるいは黒々と聳(そび)え、あるいは白妙に晴れたるを望む景色 いと神々しくして、さすがに少時(しばし)は塵埃(じんあい)の舞ふ都の中にあるをすら忘れしむ。" 幸田露伴「水の東京」
清親と同じモチーフをなぞった高弟の井上安治 (いのうえやすじ) は、右隅の点景人物の奥から交差方向手前に向いた構図を取り、さらに黄昏れた夕刻の富士見渡を描いています。
Date: 2007/6/03 10:22:57 | Posted by mikio | Permalink | Comments (2)
このエントリーへのコメント - Comments
Mikio | 2007/6/05 16:39:17
明治青年さん、いつもありがとうございます。
「やきり」ですか、ひとつ勉強になりました。
伊藤左千夫の「野菊の墓」は木下恵介の映画だけで、本を読んでいないのですが、つまりこれも「やきり」のあたりの話なんですね(笑)。
明治青年さん | 2007/6/05 8:34:48
「富士見の渡し」の絵の中に富士山が見えませんねえ。天気の悪い日に描いたのでしょうか。
渡し舟といえば、江戸川の「矢切の渡し」が有名ですが、もともとは関所を通らずに江戸側に渡るためのものだったそうで、今の人は「やぎり」と言っていますが、正しくは「やきり」なのじゃが、こんなことを言っても誰も相手にしてくれんのじゃ。ぶつぶつ。