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"東京名所 日本ばしと江戸橋" (1879) 歌川広重三代

東京名所 日本ばしと江戸橋

制作年: 明治12年(1879)2月3日
出版人: 津田源七
種類: 木版
原版/再版: 原版
解説: 三代広重による東京名所、日本橋江戸橋。
画面手前に日本橋、左奥に江戸橋を臨んでいます。さらに日本橋川対岸に、駅逓寮と、海運橋際の第一国立銀行がその楼閣を覗かせています。
維新後老朽化した日本橋が改架されたのは、明治5年(1872)11月のことでした。このときの日本橋は、木製欄干を4列設け、両端を歩道、中央を馬車道に分けていました。目がね橋と呼ばれる、石橋の江戸橋が完成したのは明治8年(1875)4月です。

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Date: 2006/12/15 10:01:10 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

"東京名所 新富座暁景" (1881) 歌川国利

東京名所 新富座暁景 制作年: 明治14年(1881)
出版人: 井上茂平
種類: 木版
原版/再版: 原版
解説: 歌川国利による東京名所、新富座暁景。
天保の改革で猿若町へと追いやられた江戸三座の守田座が、京橋新富町へ「復帰」を果たしたのは、明治5年(1872)のことでした。この守田座を改称して、明治8年(1875)に誕生したのが新富座です。
ここに描かれた新富座は、明治9年(1876)に類焼を受けて失われたあと、明治11年(1878)に再建されたものです。明治初めから中頃にかけて一時代を築いた新富座は、歌舞伎座の登場に伴って衰退し、活動写真館や松竹歌劇団の練習場へと転用されたのち、関東大震災で失われました。
"新富座は何度も手入れはしたけれど、震災前までとにかく大体の輪郭を保っていた。鼠木戸、海鼠(なまこ)壁、絵看板、庵看板、そういったものに昔のおもかげを長くとどめていたのもこの芝居だった" 鏑木清方「明治の東京」

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Date: 2006/12/15 10:01:20 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

"東京築地異人館" (1871) 歌川国輝二代

東京築地異人館
制作年: 明治4年(1871)
画号: 一曜斎国輝
出版人: 加賀屋吉兵衛
種類: 木版
原版/再版: 原版
解説: エドホテルなどとも呼ばれた築地ホテル館は、築地居留地内の7,000坪にも及ぶ広大な敷地に建設された、外国人専用のホテル兼貿易所で、民営ホテルとしては日本初となるものでした。
米国人技師リチャード P. ブリジェンスが基本設計を行い、清水喜助の意匠と施工によって明治元年(1868)に竣工されたこのホテルは、いわゆる擬洋風と呼ばれる和洋折衷建築で、ナマコ壁の印象も強烈な、独特の個性を放つ西洋館でした。その偉観は、開化絵の絶好の画題として多くの絵師に描かれ人気を博していましたが、明治5年(1872)の築地・銀座の大火 (参照:銀座煉瓦街) により全焼、竣工からわずか4年余りで失われた、短命の東京名所でした。

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Date: 2007/2/24 10:00:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

"大川富士見渡" (1880) 小林清親

大川富士見渡 制作年: 明治13年(1880)
出版人: 福田熊治良
種類: 木版
原版/再版: 原版
解説: 小林清親による、大川(隅田川)富士見渡。
江戸湾へと流れ込む隅田川は、江戸時代に永代橋新大橋両国橋厩(うまや)橋吾妻橋の5つの大橋が架かり、周辺は俗に大川と呼ばれていました渡し舟は、明治初めのこの頃まだ盛んに行われており、「竹屋の渡し」や「枕橋の渡し」など、流域のおよそ30ヵ所で渡し場が存在していました (隅田川の渡し) 。
富士見の渡し」は、現在の蔵前橋付近にあって浅草から両国付近を結んだ渡し場で、晴天には富士が望めることから付いた名でした。"この渡はその名の表はすが如く最も好く富士を望むべし。夕の雲は火の如き夏の暮方、または日ざし麗らかに天清(す)める秋の朝なんど、あるいは黒々と聳(そび)え、あるいは白妙に晴れたるを望む景色 いと神々しくして、さすがに少時(しばし)は塵埃(じんあい)の舞ふ都の中にあるをすら忘れしむ。" 幸田露伴水の東京
清親と同じモチーフをなぞった高弟の井上安治 (いのうえやすじ) は、右隅の点景人物の奥から交差方向手前に向いた構図を取り、さらに黄昏れた夕刻の富士見渡を描いています。

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Date: 2007/6/03 10:22:57 | Posted by mikio | Permalink | Comments (2)

"東京開華名勝 隅田川吾妻橋真景" (1891) 小林幾英

東京開華名勝 隅田川吾妻橋真景 制作年: 明治24年(1891)8月9日
出版人: 樋口銀太郎
種類: 木版
原版/再版: 原版
解説: 小林幾英による東京開華名勝、隅田川吾妻橋真景。
人力車、洋傘、洋装、山高帽、インバネス(袖なしコート)、ガス灯と、開化風俗をふんだんに散りばめ、対岸に浅草寺と凌雲閣を望んだ、東詰側からの吾妻橋です。
明治20年(1887)12月に開橋した吾妻橋は、隅田川に架かる長大橋のうちで最も早く鉄橋化されました。設計は原口要(かなめ)、原龍太、倉田吉嗣(よしつぐ)。鉄骨トラスの下に通路を配した、下路式プラットトラスと呼ばれるこの構造は、明治中期の長大橋ではもっともポピュラーなスタイルでした。

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Date: 2007/7/29 9:00:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

"明治十年勧業博覧会瓦斯館之図" (1877) 小林清親

イルミネーション (明治十年勧業博覧会瓦斯館之図) 制作年: 明治10年(1877)
落款: 方円舎 小林清親
出版人: 松木平吉
種類: 木版
原版/再版: 再版 (1950年代)
解説: 小林清親による、イルミネーション (第一回内国勧業博覧会瓦斯館之図)。
清親の「光線画」を代表するこの作品は、美しい光と影のコントラストとともに、網状の陰影グラデーションによって銅版画的な印象が醸し出されています。この特徴的な表現は、明治10年から数年間にわたり、清親だけが試みた独自の手法でした。
入場客を照らし出す菊花御紋形の灯火は、10月26日の天皇皇后皇太后の博覧会行幸啓を祝して設置された、花瓦斯(はながす)と呼ばれる装飾ガス灯です。柱頭に16の花弁を配したこの装飾は、清親自身がデザインしたものです。

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Date: 2007/8/04 11:30:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)