Meiji Taisho Desktop Gallery -デスクトップからのぞく百年前の日本-
"江戸城濠端大手橋" (ca1869) フェリーチェ・ベアト
撮影/制作年: 明治2年(1869)頃
キャプション: Moat Round The Tycoons Place...Yedo
撮影: フェリーチェ・ベアト
種類: 鶏卵紙焼付写真
サイズ: 19.5 x 24.5 cm
原版/再版: オリジナル・プリント
解説: フェリーチェ・ベアトによる江戸城西の丸大手橋および下乗橋(げじょうばし)。
江戸の名残を湛えたこの木橋は明治半ばまでその形をとどめ、大手橋が明治20年(1887)に石橋に、翌21年に下乗橋が錬鉄橋に架け替えられて近代化しました。一般に手前と奥の2つの橋で二重橋と呼ばれていますが、厳密には奥に架かる下乗橋の上下二重構造を指した俗称で、写真の中でも大手橋の間から下乗橋の二重橋梁が少し顔を覗かせています。
Date: 2006/12/15 10:01:40 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)
"高鉾島" アドルフォ・ファルサーリ
撮影/制作年: 1880s
キャプション: M2 Papenberg Rock
撮影: アドルフォ・ファルサーリ
種類: 手彩色 鶏卵紙焼付写真
サイズ: 19.5 x 24.5 cm
原版/再版: オリジナル・プリント
解説: アドルフォ・ファルサーリによる長崎戸町浦入江から高鉾島遠望。
左手に女神岬、右奥に神崎鼻、その沖にうっすらと浮かぶのが高鉾島です。長崎港西岸の南端沖に浮かぶこの島は、殉教の地とも呼ばれ、江戸期のキリシタン弾圧で命を落とした日本二十六聖人など、多くの殉教徒が眠る島でもあります。
Date: 2006/12/15 10:01:50 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)
"横浜本町通" アドルフォ・ファルサーリ
撮影/制作年: 1890s
キャプション: 72 Maint St., Yokohama
撮影: アドルフォ・ファルサーリ(Possibly)
種類: 手彩色 鶏卵紙焼付写真
サイズ: 19.0 x 26.0 cm
原版/再版: オリジナル・プリント
解説: 明治20年代中頃の横浜本町通。アドルフォ・ファルサーリ、ファルサーリ商会による撮影か。
関内居留地から横浜市街地方面を望んでいます。右手に横浜郵便電信局(明治22年完成)を、左手奥にリチャード P. ブリジェンス設計による横浜町会所(明治7年)を見ることができます。さらに左手前の石塀に囲まれた土地には、横浜貿易商組合共同倉庫という看板が立っています。ここには、明治29年(1896)に横浜生糸検査所が建てられるのですが、この写真はそれ以前に撮影されたものです。横浜貿易商組合は明治22年(1889)10月に結成されました。
正面手前の左右に交差するストリートはリチャード H. ブラントンが手がけた日本大通りです。この通りを右へ折れると、こちらもブリジェンス設計による横浜税関が正面に姿を現します。
Date: 2007/1/13 10:29:00 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)
"東京銀座通" 日下部金兵衛
撮影/制作年: 1880s
キャプション: 626 Main Street, Tokio.
撮影: 日下部金兵衛
種類: 手彩色 鶏卵紙焼付写真
サイズ: 20.5 x 26.5 cm
原版/再版: オリジナル・プリント
解説: 日下部金兵衛による東京銀座通り。
街路樹で彩られた銀座通りを、人力車や大八車、開通したばかりの鉄道馬車が行き交っています。鉄道馬車の上方に見える高塔は、明治9年(1876)に建てられた京屋時計店銀座支店(銀座4丁目1番地)の時計塔です。
Date: 2007/3/31 13:00:12 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)
"歌舞伎座株式会社開業式の景況" (1896)
撮影/制作年: 1896
キャプション: なし
撮影: 不詳
種類: 手彩色 鶏卵紙焼付写真
サイズ: 20.6 x 26.3 cm
原版/再版: オリジナル・プリント
解説: 明治29年(1896)11月10日、歌舞伎座株式会社開業式の様子。
同年9月1日に株式会社に改組した歌舞伎座は、市場の高い人気を得て、株式組織として新たにスタートしました。初興行の演目は「二人景清」「奥州安達原」「波底親睦会」で、写真中にも絵看板横にその演題が見えています。
"その日の景況は、劇場前に大国旗を交叉し、無数の球灯彩旗を吊り、座の左右には諸方より寄贈されたる酒樽の積物、正面には原鉄石居士の筆で「歌舞伎座株式会社開業式演劇」と大書したる横額を掲げました。" 木村綿花「近世劇壇史 歌舞伎座篇」
Date: 2007/7/14 14:52:28 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)
"浅草公園凌雲閣" (1890s)
撮影/制作年: 1890s
キャプション: 166 ASAKUSA PARK
撮影: 不詳
種類: 手彩色 鶏卵紙焼付写真
サイズ: 27.7 x 21.7 cm
原版/再版: オリジナル・プリント
解説: 浅草公園四区大池の中島から写した、開場からまだ日の浅い凌雲閣。明治20年代でしょうか、江川一座の常打ちとなる公園六区北端の「大盛館」はまだ建っていないようです。阿久根巌著「元祖玉乗曲芸大一座」によると、大盛館の記事が新聞に登場し始めるのは明治26年(1893)頃のことです。
浅草公園凌雲閣は明治23年(1890)11月11日に開業しました。登閣料は大人8銭、軍人子供5銭。日本最高層からの眺望を目玉に据えたこの高塔は、他にも日本初のエレベーターやアーク灯、勧工場式の閣内など、多くの最新流行を詰め込んでいました。
Date: 2007/10/06 10:17:43 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)
"横浜堀川" 日下部金兵衛
撮影/制作年: 1880-90s
キャプション: 530 Creek Yokohama
撮影: 日下部金兵衛
種類: 手彩色 鶏卵紙焼付写真
サイズ: 20.6 x 26.3 cm
原版/再版: オリジナル・プリント
解説: 前田橋から谷戸橋方面を望んでいます。前方に見える橋は明治20年(1887)に鉄橋で再架された谷戸橋。堀川を挟んで、左手に関内居留地、右手が横浜元町です。
谷戸橋の左方に、ブリジェンス設計による横浜グランドホテル旧館の煙突が見えています。右奥の大きな寺屋根は、安政6年(1859)に建立された増徳院です。
左端に見える高塔は、明治12年(1879)に建てられた初代クライスト・チャーチの鐘楼です。その左側には、本堂の屋根に据え付けられた、前後2基の十字架が小さく見えています。鐘楼は明治25年(1892)に取り壊されるので、写真はこれ以前に撮影されたものです。
左手の叉路に突き出した建物は、居留地109番、楽器店のドーリング商会 (Doeling & Co.) です。看板にピヤノ、オルガン、シエロー(チェロ)とあります。ドーリング商会の開業は明治16年(1883)、明治28年(1895)には本町通52番地へと移ります。その左側、塀に板材が立て掛けてある店舗の看板には、Martin, No.107, Coal Depotとあり、石炭輸入商のマーチンと思われます。
Date: 2007/11/11 10:13:07 | Posted by mikio | Permalink | Comments (1)